ツーリストインフォメーション
行き方: 中央駅からバスDで、約10分。
10世紀から11世紀にかけて、3番目の城壁に囲まれたフィレンツェの町が、さらにその外側にも発展していった時期、ボルゴと呼ばれる住宅地が、急速にその面積と重要性を増していった。その中の1つがサン・ヤコポ通り、ボルゴ・サン・ヤコポBorgo S. Jacopoである。
ヴェッキオ橋のたもとから西へのびるこの道は中世時代からの形をほぼ完全に残している。
歴史
サン・ヤコポ通りはヴェッキオ橋Ponte Vecchioとサンタ・トリニタ橋Ponte a Santa Trinitaとを結ぶ道である。この通りが歴史に登場するのは12世紀末だが、1050年にはヴェッキオ橋との角にローマへ向かう旅人のための宿泊所が建てられている。
13世紀初め、この地区でも町の防御のための柵が設けられた。(その後柵は、城壁に取って代わられる)また、いくつかの貴族の家には塔が建てられ、それらは今でもこの道の特徴となっている。道の中程にはサン・ヤコポ・ソープラルノ教会San Jacopo Soprarnoがある。創建は10世紀、その後1300年の聖年に巡礼者の補助を目的として設立された協会、サン・ヤコポ会の本拠地となった。サン・ヤコポ通りの終わり近く、サンタ・トリニタ橋のたもとにはフレスコバルディ館Palazzo Frescobaldiがある。建物は時代の違ういくつもの部分に分けられるが一番古い部分は1301年建設、フランスの有力な貴族カルロ・ディ・ヴァロワが、フィレンツェで起こっていた政争の解決のためローマ教皇により当地へ派遣された際、滞在したという。
フレスコバルディ館の向かい、サン・ヤコポ通りの一番端にはブオンタレンティ作の噴水(16世紀)がある。
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サン・ヤコポ通りは第二次大戦中の1944年、ドイツ軍によりその半分以上が破壊される。戦後、半壊した塔は修復され、その他の建物は建設当時の材料と色を使って、再建された。
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