朝は小さな市がたち、タッソ広場Piazza T. Tassoの大部分を占める公園ではサッカーをする子供たちや、散歩に来る住民などまさにオルトラルノ庶民の広場.それでもその一角では、城壁の一部が歴史を物語っている。
歴史
現在広場となっているこの場所には、かつて城壁の補助的な門があり民衆党派のリーダーであったジャーノ・デッラ・ベッラの名がつけられていた(17世紀半ば)が、フィレンツェ遷都事業により取り壊される。
その後跡地はグッシャーナ広場Piazza Guscianaと呼ばれ、1913年更に拡張され近くのサン・ベネデット通りVia S. Benedetto(現在はもう残っていない)にあった家も取り壊された。新しい広場は詩人トルクアート・タッソTorquato Tassoからその名がつけられたが、第一次世界大戦により整備事業は中断される。そして戦後も未完成のままになっていた。
ようやく1952年になって、公園部分と塔の部分的修復、そして城壁の広場に近い部分の修復を含めた整備工事が終了する。
タッソ広場には、2つの記念碑がある。一つは、第一次大戦中亡くなった当地区の住民たちに捧げられたもの、もう一つは、1944年この地でファシストによって銃殺された市民のための記念碑である。
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広場の一角、レオーネ通りVia del Leoneと教会通りVia della Chiesaとの角に15世紀のフレスコ画が描かれたタベルナーコロがある。作者は、ジョッティーノGiottinoともナルド・ディ・チョーネNardo di Cioneともいわれ、1958年に修復が完了してそれまであった複製と置き換えられたものである。
タッソ広場にある一群の建物には、もとのレオポルド学校Scuole Leopoldine(ロレーナ家大公レオポルド2世が創設)と、非宗教化された教会サン・サルバトーレSan Salvatoreがある。学校の建物は長い間放置されていたが、現在修復工事中、一方教会は市の所有となっており、スポーツクラブとして利用されたり、またしばしば展示会や文化的催し物の会場として使用されている。 当広場は、公園の中に小さいながらもサッカー場を有し、また周りには庶民的なバーやトラットリア、レクリエーションサークルなどがあり、この地区ではひときわにぎわいを見せる場所となっている。
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